長崎中学校へ向かう、あの、道のど真ん中に立木が何本も続く、
諏訪神社の裏の恐怖のあの道なんだが、、、
長崎中学校に通学した方々には、ふつ~じゃないですか?と言われて、
心底呆れ果てた記憶がある。
某食器販売店の社長さんの
掌に収まる食器という芸術品だったか、、
飾れる食器、そして旅館の懐石で愉しめる食器、
磁器・陶器を問わず、食器もまた芸術だと思う。
特に、蕎麦猪口、ぐい呑み、盃、茶碗、、、掌(たなごころ)に収まるこれらは、
庶民にも愉しめる小さな芸術品で、手近なげ~じつだよなぁ、、
そんな食器を支えて来た有田でも、分業が進み過ぎて居て、
何処かが欠けただけで、一つの製品が消え去ってしまう、、
聞くたびに、墜ちてまぁ~すの連呼で落ち込み続けるのだが、、
一番のお気に入りな、深川製磁のバルーンマグカップ、、
本当は微細プリントな、バイオリンとかの北の国から来た方シリーズとか、
昔の製品の美をいり細を穿ったシリーズで出してほしかったが、、、
私が久しぶりに逝って気が付いた時に入手したA型なマグカップ、
これを上回るお気に入りは20年経っても現れて居ない。
次が、1616で購入した極薄コップ、木村ガラスじゃないかな?このサイズは消えていたが、、まだ、あんねん、でも、割れるのよ、極薄だから、、
一個だけな畑萬の玉露碗は今も生産中だが、なぁ~んか精度が違う気がするしなぁ
そうだよなぁ、掌(たなごころ)に納まり、毎日愛でられる美術品、
昔、知り合いが言ってた科白が、40年経って、やっと判りかけた気がしている